蒼井優・生瀬勝久のお芝居「アンチゴーヌ」について~レッサーパンダのモノローグ
レッサーパンダです。久しぶりにお芝居(劇場演劇のこと、以降、お芝居と書きます)を観に行きました。蒼井優さんと生瀬勝久さんの演じる「アンチゴーヌ」という舞台に出かけてました。(色々な意味で本当に楽しかった。)お芝居に対しては若い頃からの「思い出」だけでなく「後ろめたさ」みたいなものがあって楽しい反面、今でも複雑な気持ちになります。今日のブログはお芝居の解説というよりも、レッサーパンダの独り言みたいなものです。かなり古い話もありまして、若い方には良く解からないお話かも知れませんが、なにとぞご容赦を。
ロームシアターに変わって初めて足を踏み入れた京都会館
今回、お芝居が上演されたのは京都市左京区岡崎の「ロームシアター」です。以前、ブログで紹介した「京都国立近代美術館」やタルトタタンの「ラ・ヴァチュール」も近くにあります。
京都に長く住んでいる人にとっては「京都会館」という方が通じやすい場所です。老朽化していたこのホールは(何せ出来たのは1960年)、2016年にリニューアルオープンしています。
その際、工事費捻出のために地元の電子部品メーカー「ローム株式会社」に命名権を売却し、現在の「ロームシアター」に変わったのです。
昔は京都で大きなコンサートがあるというと必ずこの京都会館(ロームシアター)だったのですが、久しぶりに訪れてすっかり様子が変わっていました。素敵なカフェレストラン(京都モダンテラス)やこだわりの本屋さん、スターバックスなどが入り様変わりしていました。(このお話はまた別のエピソードでご紹介します。)
何だか時の流れを感じます。会場はロームシアターのサウスホール(昔は京都会館第一ホール、第二ホールという呼び方をしていましたが、現在はサウス、ノース、メインホールなどと呼ぶようです)。
内装はすっかりお洒落になって変わっていたのですが、建物の構造は昔のままで、少々武骨なコンクリート打ちっぱなし風は変わっていませんでした。
人気女優が主演という事もあり、ロビーには公演祝のお花が豪華に飾られておりました。こういう風景を見ると昔も今も変わりませんね。
ギリシャ悲劇について
今回のお話「アンチゴーヌ」はギリシャ悲劇です。簡単にストーリーを書くと「アンチゴーヌ(女性の名前、蒼井優)は、反逆者として野ざらしにされていた兄の遺体に弔いの土をかけたことで、捕らえられてしまう。王クレオン(生瀬勝久)は一人息子エモンの婚約者である彼女の命を助けるため、土をかけた事実をもみ消す代わりに、遺体を弔うことを止めさせようとする。だが、アンチゴーヌは兄を弔うことを止めようとせず、自分を死刑にするようクレオンに迫る。懊悩の末、クレオンは国の秩序を守るために苦渋の決断を下す…」(以上パンフレットからの引用)というお芝居です。ギリシャ悲劇は古代ギリシャのお祭りが起源となっており、現在の演劇のお手本であり舞台芸術の規範ともなっています。
言語やシチュエーションを変え世界中で様々な取組が行われており、日本では忠実な古典の再現よりも「ギリシャ悲劇を骨格にした新しい取組(前衛演劇)」の題材として数多く演じ続けられてきました。非常に迫力のある名作が多く、レッサーパンダも1988年に当時「早稲田小劇場」(後の劇団SCOT)の白石加代子が演じた「トロイアの女」を見た時は、終演後、ショックのあまり座席からしばらく立ち上がることが出来ませんでした。
「アンチゴーネ」と「アンチゴーヌ」
実は今回のお芝居にはお手本となる「アンチゴーネ」というギリシャ悲劇があります。アンチゴーネは古代ギリシャの都市国家テーバイの王女で父王とその母である前女王の間に生まれた悲劇の人。今回の「アンチゴーヌ」はフランスの劇作家ジャン・アヌイがギリシャ悲劇「アンチゴーネ」を翻訳したもので、ナチス・ドイツ占領下、1940年代のパリで著されたものです。国家と個人、現実と理想をどう考えるかを投げかける名作なのです。今回の公演は演出家の栗山民也氏が10年の構想を経て実現したお芝居ですが、このお芝居に着手した際に実際にヨーロッパの各所を旅してまわり演劇が文化として生活に根付いている姿を目の当たりにしたことが色濃く反映されています。例えば、今回の舞台美術です。既存の劇場をそのまま、使わずホールの中に仮設の舞台を作っています。十文字の舞台は客席と非常に近く、役者の息遣いが聞こえてくる距離です。「役者と観客の近さ」これも海外の演劇からの大きな学びのようです。
舞台上には椅子が二つ、1つは玉座を象徴する飾りのついた椅子。もう一つは裁かれる側を現す質素な椅子。セットはそれだけです。後は人間が状況を描写し、照明と最小限の音楽がそれを支えます。極めてシンプルな表現要素は能や狂言のような日本の古典芸能に相通じるところがあります。この様な舞台設定では、そこで演じる女優や俳優の技量がお芝居の出来不出来に如実に現れるのです。
蒼井優という女優について
今回の主演、蒼井優については少々偏見がありました。「ゴシップの多いタレント女優」という偏見があり、演技にあまり期待していなかったのです。しかし、舞台を見て考えを変えざるを得ませんでした。
彼女はこの「アンチゴーヌ」というお芝居の台本(市販の書籍)を19歳の時から個人的に読み込んでいて、今ではその本がボロボロになるほど。長台詞には心を揺さぶる迫力があり、スポットライトの逆光の中でとうとうと繰り出す台詞は、「大量の汗」と「(唾の)しぶき」になり彼女の美しいシルエットを縁取っていました。何より、役作りをしているように見えない!「アンチゴーヌ」=「蒼井優」に見えてしまうのが不思議でした。これは彼女の天性か、血のにじむ努力の結果かわかりませんが、『役作りのいやらしさ』を感じさせない女優に久しぶりに出会えました。
生瀬勝久という俳優について
生瀬勝久という人は兵庫県の出身で京都の同志社大学の学生でした。昔、同志社大学の演劇部・同志社小劇場や第三舞台で演技をしており、明らかに頼りなくて、ちょっと頑張りすぎの演技、台本を知らない人が見ていても明らかに台詞を間違えていることに気付いてしまうような・・・。これがレッサーパンダの生瀬勝久を最初に見た時の印象でした。当時、京都大学の演劇部で「そとばこまち」というのがあったのですが(今もあるの?)辰巳琢朗が「つみつくろう」という名前で主催していたころは頻繁に足を運びました。レッサーパンダは生瀬勝久が座長になったころには自然に離れていった人間の一人でした。ですから、どうしても「色眼鏡」で見てしまう自分がおり、ちょっとそれが嫌でした。でも、生瀬(これは彼の本名)を久しぶりに見て、自分の狭量さ加減に恥じ入りました。「男子、三日会わざれば括目してみよ」という言葉がありますが、まさにこの慣用句のごとき変身ぶりでした。
昔の大根役者は大人になり、貫禄がつき、月日の風雪にさらされて風格が現れておりました。張りのある声は昔のまま「何ともいい具合」の漢に転身している生瀬の姿に驚きと懐かしさがこみあげてきました。
また、演劇熱が再燃しそうです
このお芝居、キャストや劇場を見る限り、レッサーパンダは絶対に見ないはずのお芝居でした。偶然手に入れた1枚のチケット(どういう経緯で手に入れたかを書くと、とても長くなるのでパスします)のおかげで大変良い時間を過ごすことができました。昨年、イッセー尾形の「妄ソーセキ劇場」を見て心が動いていたのですが、今回の「アンチゴーヌ」で本格的に演劇熱が再燃しそうです。何だか、懐かしく甘酸っぱい気持ちになるのは年をとったということなのでしょうね。また、良いお芝居との出会いがあれば・・・と願うのでした。今日はロームシアターで上演されたお芝居「アンチゴーヌ」のお話でした。それでは、また。
アンチゴーヌの公演予定について
残念ながら2月28日まで開催される東京の新国立劇場、2月24日~26日までの北九州芸術劇場大ホール分も完売のようです。
唯一、2月16日(金)~18日(日)の穂の国とよはし芸術劇場PLAT 主ホール (愛知県)分にわずかに空き席があるようです。
ご覧になりたい方はお急ぎを!
また、今後の再演に関しては企画制作の株式会社パルコに直接お問い合わせを。