京都・和食の十二段家で京都らしさについて考えた
こんにちはレッサーパンダです。この原稿を書いている今日は、ちょうど長いゴールデンウィークの折り返し日。楽しい時間はあっというまに過ぎ去ります。楽しいといえば、この時期、友人や知人が京都に訪ねてくることが多く、一緒に食べたり飲んだりする機会が多いのです。そんな時、ちょっとした悩みもあります。
みんなが考える「京都らしさ」ってなに??
京都にやってくる人たちに言われて困る一言に「京都らしい所に連れて行って」、「京都らしいものが食べたいなぁ」というのがあります。この一言、実は京都もしくはその界隈に住む人にとっては密かな「NGワード」です。この言葉を投げかけられた人は「連れていって」、「食べさせて」といった人が一体全体、何に『京都らしさ』を感じているのかが解からなくて悩んでしまうのです。(そもそも人がイメージする「らしさ」なんて百人百様ですよね。)
この言葉、まさしく京都に住む人間にとっては「自分のセンスを試される」隠れキリシタンさながらの踏み絵みたいに感じてしまう一言なのです。
観光客が行列する和食のお店にでかける
そんな折、観光客が行列するお店に出かけることになりました。お店は中京区丸太町の「十二段家」(じゅうにだんや)です。
このお店、本店は祇園の花見小路にある「高級しゃぶしゃぶ」のお店です。聞くところによると日本のしゃぶしゃぶの元祖だとか。今回、食事に出かけた丸太町・十二段家でも「高級しゃぶしゃぶ」や「贅沢なステーキ」も食べられるのですが、面白いことはお昼限定で「お茶漬け」店として営業していることです。
観光の方々のお目当てはここの「お茶漬け」なのです。
狭い店内は古い町家を改装した古色蒼然な作りです。面白いのは卓袱台風のテーブルに座布団を敷いて6人ほどで囲めるようになっています。(テーブル席もあります。)
「水菜」(みずな)というお昼のセットを選んだのですが(税込・2,040円也)、出てくる料理は「だし巻き玉子」や「筍と蕗の焚いたん」、「海老とそら豆の白和え」、「漬物の盛り合わせ」などなど。素朴なお料理ばかりです。
どれも手がかかっていて、とても美味しいのですが、正直に言うと「昔、おばあちゃんが作ってくれた家庭の味」です。この料理に全国からやってきたお客さんが行列する訳がよくわかりません。誤解があるといけないので、重ねて書きますが、炊き立てのご飯やお料理はとても美味しいのです。
しかし、中身は極めてシンプル。以前、このブログで土井善晴先生の「一汁一菜」について書きましたが、まさにそれを、そのまま地で行っている感じです。贅沢な京懐石でもなく、京野菜や湯葉を使う前衛的なフレンチレストランでもない。どうして、この店なんだろうと考えこんでしまいました。
みんなが求める京都への憧憬は「日本らしさ」のことでは?
実はこのブログを書く前にインスタグラムに投稿しました。その投稿にある方からメッセージをいただきました。『ここはご飯が美味しいので好きです。出汁巻やお漬物も上品で。京都らしさというより、日本らしさかもしれませんね。』このコメントを拝見して、はたと気づきました。皆が求めているのは、「京都らしさ」というよりも「日本らしさ」なんですね。
今の日本は凄い勢いで様々なものが変わりつつあります。失われつつある日本らしさに対する憧憬なのですね。これは日本に住む、日本人にしか理解(イメージ)ができないノスタルジーなのでしょう。京都に行けば「良き日の日本」にまた出会えるのでは・・・と。だから、この店の行列には中国や韓国の人が見当たらないのかぁ。とても納得した気がしました。
今後も考え続けるべきテーマ「京都らしさ」
「京都らしいものが食べたい」と言われたとき、外国人と日本人じゃ連れていくべき店の選択を変えないといけないことが、解かった気がしました。「食事をする」ことの奥の深さについて改めて考えさせられました。でも、まだ、本当の「京都らしさ」(地域らしさ)の核心には程遠い気もしています。これは、今後も考えるべき課題ですね。
今日は評判の和食店「丸太町・十二段家」で京都らしさについて考えたお話でした。
それでは、また。
十二段家について
このお店、面白いのでもう少し。
もともと丹後屋という甘党の店だったそうです。それが祇園の歌舞伎小屋の側にあり、歌舞伎忠臣蔵に因み甘党十二段の工夫をしたところ大ヒット。とうとう屋号も「十二段家」に変えたとか。また、お茶漬けが有名なのですが、これは祇園の廓に近く酔客が朝帰りをするとき「あっさりした物が食べたい」というのでお漬物やお茶漬けを出したのが始まりだそうです。面白ですよね。
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