写真芸術の最先端をみつけに芦屋写真展に行ってきた!
こんにちはレッサーパンダです。コロナウィルスのワクチン接種が進んでいます。しかし、まだまだ様々なイベントや行事が自粛ムードで開催中止や規模縮小となっています。そんな中、楽しみにしていた写真展が開催されました。
富士フィルムフォトサロンで教えていただいた写真展へ
兵庫県立美術館・原田の森ギャラリーで6月2日から6日の期間に行われた「芦屋写真展・パリを獲れ。」という写真展に出かけました。
この写真展を知ったきっかけは、今年の4月上旬に偶然入った富士フィルムフォトサロンでの写真展でした。
「現代写真の進化が見たい」というレッサーパンダの相談に気軽にのっていただいた写真家・片山徹先生のご紹介でした。
原田の森ギャラリーで開催された大規模な写真展
展覧会を観る前、片山先生からは「写真のプロ、アマ、学生など垣根のない全国公募の写真展」としか聞かされていませんでした。写真展というと小さなギャラリーを借りて行われる「こじんまりした催し」という先入観がありました。しかし、会場についてビックリ!1300㎡以上ある巨大な原田の森ギャラリー。その2階の大展示室いっぱいに様々な写真作品が展示されており目を見張りました。お話を聞くと、国内作品だけでなく、フランス・パリ市の写真家協会と提携し、フランス、ポーランド、ルーマニアなどからも多数の作品が出展されているとのことでした。国内作家さんの作品だけでも200点以上、海外作品や参考出品を加えると300作品に達する大規模写真展でした。
今回、神戸まで写真展を見に来た理由とは・・・
以前このブログにも書いたのですが、実は末永幸歩さんの『13歳からのアート思考』という本を読んだとき「絵画は写真の技術が生まれ、普及するに従い、写実性は写真に委ね実験的な現代アートの世界に舵を切り始めた」といったことが書かれおり感銘を受けました。その時「発明から400年以上たった写真の技術はどんな進化を遂げているのだろう?」と素朴に考えました。
現代の写真芸術はどんな風に進化していて、これからどこを目指すのだろう・・・もし、そんな疑問の答えが手に入れば嬉しい・・・それが今回、神戸まで足を運んだ理由です。
写真展を見学して後のレッサーパンダの見解
いつも感じるのですが、写真の展覧会は「静か」です。絵画や彫刻、現代アートのように作品そのものに手仕事が入らないせいか、それ自体は静謐なのです。だからといって熱量が少ないかというと、そうではありません。シャッターを切るまでのロケハン、光の作りこみ、被写体自体への愛情など・・・静かではありますが、深く密度の高い熱量を感じることが出来ます。ましてや、300点にも及ぶ(中には海を越えてやって来た作品たち)その熱量たるや、ただ事ではありません。
そんな展覧会場で今回の素朴な疑問について考えました。『写真芸術はどこに向かうのか?』
レッサーパンダは数多くの写真展を見て歩く評論家ではないので、今回の展覧会から感じ取ったことしか書けません。しかし、何となく自分が感じた直観に確信めいたものを感じています。
写真展を見学して気づいたこと。まず、技術面で見るとコンピュータグラフィックス(以下、CG)を使う作品が多い事。昔の「覆い焼き」や「焼きこみ」、「多重露光」のような職人技的な技法がCGソフトにより簡単にできてしまう。それだけではなく、色彩、色相を自由に変えたり、本来、無いはずの光を作ってしまえるのです。
それは写真の技巧よりも「作品で表現したいもの」により意識を集中することができるようになってきているということです。
これは、写真芸術にとって本当にすごいことだと思います。頭の中で描いたイメージが簡単に表現することができるようになったことの進歩は素晴らしいことです。
次に作者の心情的な部分。展覧会を観ていて、「はっ!」としたのですが『絵画的な写真作品』が本当に多いのです。中には本物の日本画や油彩画と見まがうような作品もあります。
でも「絵画風の写真作品を作るのだったら、素直に絵具を使って絵を描けばいいのに」などと思ってしまいそうですが、作家の想いは違うようです。
実は「写真技法や写真芸術を突き詰めると・・・こうなった。」というプロセスが重要なのです。「写真で絵画風作品を作った」ということと「写真を突き詰めたら絵画風になった」この違いは本当に大きなことなのです。加えて、そこには大きな示唆を含んでいるように思いました。
現代アートが写真そのものや、シルクスクリーンなどの印刷技術を取り入れる一方で、写真はCGを使い絵画世界に近づいていく。本当に面白い現象です。そこで、大変、単純なことに思い至りました。『みんな、色々な技術の狭間で揺蕩っているけれど、つまるところ、表現技法はあくまでも手段であって自身の描くイメージ形成の最適解を探しているだけなのだ。』ということです。すごく当たり前のことなのですが、これって例えるならば「剣術の達人が技を極め、最後には剣や木刀を手にしなくなる」のと同じような高い次元のせめぎ合いなのではないか・・・レッサーパンダにはそう思われました。
今回の展覧会の感想とそこで思索した結果は『詳細描画でもCGでも、皆さんもっと自分の感性にフィットする技術が手に入れば、古い概念や技法から自分を解放する』、『行きつくところ、絵画芸術はより写真に、写真芸術はより絵画に近づいていくのではないか』ということでした。これは、山の頂上を目指す人たちにとって登る道筋が違うだけの話なのでしょう。
今後、絵画だけではく、写真芸術も長いスパンでウォッチングしていきたいと思います。アートの世界がどんな風に融合し、また分離していくのか、その過程から目を離せないな・・・そんな気持ちで原田の森ギャラリーを後にしました。皆さんも一度、写真展、それも規模が大きく沢山の作家さんが集まる展覧会をご覧になることをおすすめします。思う以上に楽しいですよ。
今日は神戸・原田の森ギャラリーで見た写真展「芦屋写真展・パリを獲れ。」のお話でした。それでは、また。
コメントを残す