イッセー尾形の一人芝居「妄ソーセキ劇場」、5年ぶりの京都公演に行ってきました。
皆さんは劇場で「お芝居」をご覧になったことはありますか?実はレッサーパンダは大学生時代に演劇部に入っておりました。今思うと恥ずかしくて逃げ出したくなるのですが、舞台に立ったこともあります。というか毎年2~3回というペースで定期公演をやっていました。その頃は小劇場運動(今では死語ですよね)が大流行、あちこちで演劇公演が行われていた時代です。つかこうへい事務所で風間杜夫や平田満が活躍しており、唐十郎が赤テントで無茶をしておりました。野田秀樹が大人気で、辰巳琢朗や生瀬勝久らが、まだ京都大学の演劇部だったころも知っています。みんな今ではすっかりテレビ・タレントや映画俳優になってしまい舞台の仕事から遠ざかっているようです。そんな中で、イッセー尾形氏はまだまだ舞台にこだわっており、独り芝居に磨きがかかっておりました。
今回、京都府立文化芸術会館で行われた「妄ソーセキ劇場2017in京都」という公演を見に出かけました。
実はイッセー尾形のお芝居は初体験でした。
これまで、何度か機会があったのですが、その度にチャンスを逃しておりまして、今回はじめてイッセー尾形氏のお芝居を見ました。舞台上には四角い小あがりがあるだけ、下手の袖にハンガーといくつかの衣装が掛けてあるだけのシンプルな舞台です。大きなセットなどは一切ありません。
お芝居は5つのストーリーからなりたっています。明治の小説家・夏目漱石のオマージュで、漱石の5つの小説「坑夫」、「草枕」、「道草」、「門」、「明暗」の中から個性あふれる人物をイッセー尾形氏が演じます。老衰寸前の高齢の落語家、口の悪い散髪屋の店主、意地汚く謝金を求める老女、出来が悪いくせに屁理屈ばかり言う大学生、お節介と悪口が生きがいの中年女性・・・小説の登場人物が実際に現実に動いてしゃべりだすと、こんなだろうな・・・という妄想がテーマで、各々の人物を一人芝居で活き活きと演じられています。舞台下手にはハンガーにかかった、役ごとの衣装が吊下げられており、幕間には舞台上で衣装替えがなされます。ソデに下がって着替えるのではなく、舞台上で高齢の落語家が中年の散髪屋に、老婆が大学生に変身していく姿を観客はつぶさに見ることができます。その衣装替えがひとつのパフォーマンスになっており、演劇になっています。どのお話も真面目に演じられているのに限りなく可笑しい、お腹の底から反射的に笑えるエピソードばかりです。イッセー尾形氏の演技力と独特のキャラクターによる個性的な世界が出現します。
久しぶりに「終わってほしくない」と願う舞台でした。
観客はお芝居が進むと舞台袖の衣装の数がストーリーの数であることに気がつきます。ひとつ終わった、ふたつ終わった・・・あと物語は2つ、これで最後のひとつ・・・あぁ、終わってほしくない。もっと、もっとイッセー尾形ワールドを見続けたいという気持ちになります。最後に舞台あいさつに立たれた姿、お話をきいていると、まだお芝居の続きのような不思議な期待と錯覚に陥ります。なんとも他にない存在感と個性が最後の最後まで観客を引っ張っています。
お芝居だけにとどまらない多彩な才能に驚かされます。
お芝居の中で、イッセー尾形氏が歌う場面があります。伴奏は自身が演奏するウクレレやマンドリン(フラットマンドリンというカントリーソングやブルーグラスで使われる物です。)演奏の上手さに驚かされます。また、終演後、ロビーでご本人の直筆の絵画集や絵葉書などが販売されていました。
個人旅行や公演で出かけた先の景色や風俗などが味のあるタッチで描かれています。また、その画集に自作の詩を添えられて素敵な本が出来あがっています。溢れる才能とエネルギーがこんな所からもグイグイ伝わってきます。イッセー尾形氏は今65歳。年齢なんてどこ吹く風「熱く今を生き続けている」そんな役者です。
来年の京都公演が本当に待ち遠しく思えます。
公演の最後の舞台あいさつで、イッセー尾形氏は来年の京都公演を約束してくださいました。今回の舞台「妄ソーセキ劇場」は明治の文豪、この後、大正、昭和の作家、現代の作家と取り上げたいテーマには困らないそうで、ご本人曰く「5年はネタに困らない」そうです。レッサーパンダは来年の秋もイッセー尾形氏に京都で会えることを心から楽しみにしております。今日は京都府立文化芸術会館で行われたイッセー尾形氏の一人芝居のお話でした。それでは、今日はこのへんで。