京都・東山の河井寛次郎記念館で、無位無冠の名陶工の晩年を想う
東山五条の素敵な珈琲館「市川屋珈琲」のお話を書きましたが、市川屋珈琲を訪れたなら立ち寄ってほしい場所がありあます。それは五条坂で生涯を過ごした名工・河井寛次郎の記念館です。
河井寛次郎が晩年を過ごした家が現在、記念館になっており市川屋珈琲からは3分程度で訪れることができます。
河井寛次郎とはどういう人だったのか
河井寛次郎は明治23年8月24日島根県安来に生まれました。(なんとレッサーパンダと誕生日が同じです・嬉)若くして京都市陶磁器試験場に入所。釉薬の研究に没頭するとともに自らの作品づくりにも励みます。高島屋の当時の宣伝部長・川勝堅一の強い後押しで東京と大阪の高島屋で個展を始めたことをきっかけに、その存在を世間に知られます。
民衆の手による素朴な工芸品の健康的な美しさに着目し世の中に広めようとします。これを「民衆的工藝」(運動)と呼び「民藝」(みんげい)という新しい言葉を作りました。ご存じのとおり、今ではこの民藝・民芸という言葉は一般に使われる言葉となっています。
寛次郎が何万点という陶芸作品、木調、金工など幅広い創作活動で高い評価を受けます。1955年文化勲章を授与されるのですが、それを辞退。他にも人間国宝、芸術院会員などへの推挙もありましたが、同様に辞退しています。また、海外では自らの作品「白地草花絵扁壷」が、ミラノ・トリエンナーレ国際工芸展グランプリを受賞するのですがそれも辞退してしまいます。生涯を通して「在野の一陶工」という姿勢を貫き通した河井寛次郎は「無位無冠の名工」と呼ばれています。
河井寛次郎が愛した自宅・工房が記念館として見学できます
当時の室戸台風で五条坂の自宅を失った寛次郎は1937年(昭和12年)に自らの設計で新たな家を建てます。施工の棟梁は自身の兄・善左衛門だったそうです。寛次郎はそこで1966年に76歳で没するまで創作活動を続けました。
実は寛次郎が住んだその家が大変美しいまま保存され、そのまま、この「河井寛次郎記念館」となっているのです。単に作品の展示場として利用されているのではなく寛次郎が生前仕事をした書斎や居間、戦争中に使った防空壕跡まで残されていて「作家の生の印」が刻まれているようです。
寛次郎のほのぼのとした人柄が伝わるような記念館
民衆的工藝運動に力を注いだ寛次郎ですが、その住まいであった記念館は「民藝」そのものです。素朴で温かみがあり、とても居心地の良い空間です。寛次郎は家族思いで優しくほのぼのとした性格の人格者だったそうですが、その人柄が時を越えて伝わってくるような記念館です。
よくあちこちに「民藝珈琲店」、「民藝喫茶店」といったお店がありますが、きっとこのお家を手本にしているのでしょう。80年の時を越えて、未だに多くのファンがこの記念館を訪れます。ここに来れば、あなたもきっと、煩わしい日常を忘れて心癒されるはず。美味しいコーヒー(市川屋珈琲)の後はぜひ訪れてみてください。
今日は陶芸作家の自宅がそのまま記念館になっている「河井寛次郎記念館」のお話でした。それでは、またね。
河井寛次郎記念館
住 所:〒605-0875京都市東山区五条鐘鋳町569
開館時間:午前10時~午後5時(入館4時半まで)
休館日:毎週・月曜日
(祝日は開館、翌日休館。8月11日~20日頃、12月24日~1月7日頃休み有り。)
入館料:一般900円、大・高生500円、中・小生300円
TEL:075-561-3585