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2020-08-17

この本おすすめ!末永幸歩「13歳からのアート思考」

こんにちはレッサーパンダです。このところアクリル絵画の作品作りが進んでいませんでした。素人・日曜画家にも一人前にスランプというものはあるのです。あまり効果はないのですが苦し紛れ、藁にも縋る思いで美術指南書や絵画テクニックの本を買ってみたりします。そんな折、なぜスランプに陥っているのかを教えてくれる1冊の本に出合いました。

プロローグ「あなただけのカエル」の見つけ方

その本は真っ黄色の表紙に黒い文字でタイトルが書かれた本でした。『13歳からのアート思考』という本。書店の人気本コーナーの中でも特別目立っています。目立っているわりには、手を伸ばす人が少ないような・・・。

縦・約19cm、横・約13cmと小さ目ながら黄色の装丁は書店でかなり目立ちます。

縦・約19cm、横・約13cmと小さ目ながら黄色の装丁は書店でかなり目立ちます。

この本、学校の「美術の授業」とは全く違うベクトルで美術を教えてくれる本です。名画の解説や絵画技法の説明など一切無し。序章では、かの有名な「モネの睡蓮」に「カエルが描かれているのか?」という問いかけから始まります。4歳の男の子がモネの睡蓮を見て「カエルがいる!!」と叫んだことが事の発端です。実はモネは自分の作品にカエルどころか、魚すら描いたことは無いのです。その子供は「こんな池にはきっとカエルがいるはず」と想像力を働かせカエルの姿をイメージしたのです。ちなみに、この美術館(岡山県・大原美術館)の学芸員さんは、男の子に「どこにカエルがいるの?」と聞いたところ男の子は「今、水に潜っている」と答えたそうです。モネの絵の細部を見落としていたのではないかと慌てる学芸員さんの姿が目に浮かぶようなエピソードです。このプロローグの重要なポイントは「自分だけのものの見方」でその作品をとらえて、「彼(男の子)なりの答え」を手に入れている・・・ということです。

こちらはモネの絵ではなくて岐阜県にある「名もなき池(通称:モネの池)」の写真

こちらはモネの絵ではなくて岐阜県にある「名もなき池(通称:モネの池)」の写真

この話、実は自分がアート作品と本気で向き合ったかを問いかけているのです。私たちは1枚の絵すらもじっくり見られない大人になっているのではないかという疑問をこの本は投げかけてきます。

そこで、レッサーパンダからの出題。かの有名なレオナルド・ダヴィンチの「モナリザ」。この絵の中に「橋」が描かれています。ご存じの方はどのくらいいらっしゃるでしょうか?もしも、ご存じない方は一度、ゆっくり「モナリザ」と向き合ってみてはいかがでしょう。

かの有名なダビンチのモナリザ。さあ、じっくりとご覧あれ。

かの有名なダビンチのモナリザ。さあ、じっくりとご覧あれ。

現代人に必要な「アート思考」とは?

この本の作者・末永幸歩さん(すえなが・ゆきほさん、女性です)は公立の中学、高校で美術を教える教師です。彼女によると、学校で中学生にアンケートをとると「(小学生から中学生になって)一番人気がなくなる授業」が美術だそうです。小学生に聞くと好きな授業の第3位だった美術が中学生になると最下位に転落するのです。

理由は簡単です。小学生の頃は自由な発想で自己表現をしていた子供たちが、思春期にさしかかると「美術の授業」=「上手に絵を描くこと」、「人をあっといわせる工作や造形の制作ができること」、「昔の巨匠について多くを知っていること」だと勝手に決めつけてしまうからです。多くの学生さんは「僕は(私は)絵が下手だから」と口にして美術=アートから遠ざかってしまうのです。

でもアートって本当に絵を上手に描くことなのでしょうか?この本が投げかける問いは13歳の中学生だけではなく「アート苦手」な大人たちにも共通する質問です。

話はプロローグに戻ります。先に登場した「モネの絵にカエルがいる」と言った4歳の男の子。世間の一方的な押し付けや常識にとらわれず素直に自分が感じたことを他者に伝えています。実は末永幸歩さんや多くの美術教師の皆さんが生徒に教えたいことは「上手な絵の描き方」ではなくて、まさにこのカエルの少年のような『自分なりの答えを作る』ということだったのです。アートとは秀逸な絵画や造形のことではない、「自分で見て、自分なりの答えを導き出した思考の産物だ!!」と解りやすい事例をあげて末永さんは丁寧に説明してくれています。このことは、レッサーパンダが中学生の頃から抱きつづけていた疑問に明確な答えを示してくれました。

中学生の頃から頭を抱えていた現代アートの鑑賞法

中学生の頃、学校の教科書で見た「ピカソ」の絵が嫌いでした。「きっと人を驚かすために、こんな突飛な絵を描いて、たまたまそれを面白がった好事家の目に留まっただけだろう」と偉そうな中学生のレッサーパンダは勝手に思いこんでいました。ピカソだけではありません。ただ絵の具を塗りたくった前衛美術全般に不審を持っていました。それを世間は一体全体なにをありがたがっているのか?まったく理解できない。いい年の大人になっても「写実は理解できるが、コンテンポラリーアートはちょっと意味わからん!」と思い続けていました。今回、この本を読んで一番の「目からうろ」は、なぜ前衛アートが生まれ、何を評価されているのか?ということを明瞭に示してくれたことでした。

昔の画家は皇族や貴族、上流階級の人々の注文で肖像画や風景画を山のように描いていました。特に肖像画を描く画家たちにとっては「いかに正確に写実的に絵が描けるか」が評価の尺度であり、お金に直結していたのです。それが19世紀に入りとんでもない大発明が彼らの存在価値を揺るがします。「写真」の発明です。写真はどんなに技巧に優れた画家よりも忠実に姿を映しとります。当時の画家たちにとっては青天の霹靂です。当時、写真の出現とともに筆を折った画家も多かったのでしょう。そんな中、「自分たちは画家として今後、何をしていくべきか」を真摯に考えた人たちがいました。「アートにしかできないことはなんだろう?」という問いを立て自分たちの好奇心の赴くままに、これまでなかった探求をはじめた人たちです。この『探求』がアンリ・マティスに緑色の鼻をしたマティス夫人の肖像(「緑のすじのあるマティス夫人の肖像」)を描かせ、ピカソに「アビニョンの娘たち」や「ゲルニカ」を描かせたのです。

描かれた当時、彼らの作品は「子供が描いたような絵」、「頭がどうかしている」などと酷評を受けました。後に彼らが描きたかった物は技巧的な職人仕事ではなく『自分たちの目で見て、深く考え、探求したことの結果』だったことが理解されます。それは現代まで脈々と受け継がれているのです。

前衛的な現代アートってよくわからない?本書がアート鑑賞のヒントをくれました。

前衛的な現代アートってよくわからない?本書がアート鑑賞のヒントをくれました。

たちの悪い「スランプ」からの脱出ヒント

末永幸歩さんは本書でこんなことを書いています。『ビジネスだろうと学問だろうと人生だろうと、こうして「自分のものの見方」を持てる人こそが、結果を出したり、しあわせを手にしたりしているのではないでしょうか?じっと動かない1枚の絵画を前にしてすら「自分なりの答え」をつくれない人が、激動する複雑な現実世界のなかで、果たしてなにかを生み出したりできるでしょうか?』

美術、アートには数学のように1+1=2というような答えが予め用意されている訳ではありません。試行錯誤する人の数だけ答えがあるのですね。「皆と一緒じゃないといけないというのは間違い」、「レール(ルール)からそれてもいいのだ」ということを改めて本書に気づかせてもらいました。

最近の自分自身を振り返ると「作品を上手く描かねば」、「みんなの好感を得るような作品にしないと」という気持ちばかりが先行し筆が進んでいなかったようです。多少パースがおかしくても、仕上がりが汚くても自分の「模索」、「探索」が素直に表現できていればそれで良いのだ!ということに気づきました。末永幸歩さんの「13歳からのアート思考」という本は中学生、高校生向きに書かれた本かもしれませんが、常識や世間の垢にまみれたオジサンの脳にも爽やかな気づきを与えてくれるカンフル剤のような1冊でした。

最近「自分で考えることをサボっている大人」や「世間の波に上手に乗った気になっている人たち」にぜひお勧めしたい書籍です。もしかすると、レッサーパンダのようにスランプ脱出のヒントになるかも知れませんよ。

今日は大人も受けたい授業が凝縮された1冊「13歳からのアート思考」のお話でした。それでは、またね。

 

 「13歳からのアート思考」について

著者:末永幸歩(すえなが ゆきほ)

出版:ダイヤモンド社

2020年2月19日初版 定価1300円(税別)

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