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2020-06-22

第38回上野の森美術館大賞展を見てきました!・・・大きな絵を描くことの意味

こんにちはレッサーパンダです。1か月ほど前の話です。東京にある上野の森美術館より1通の手紙が届きました。開けてみると展覧会のチケットが入っていました。同美術館が主催する「明日を開く絵画 第38回上野の森美術館大賞展」の招待状でした。

上野の森美術館から届いた手紙には「上野の森美術館大賞展」の招待券が入っていました。

上野の森美術館から届いた手紙には「上野の森美術館大賞展」の招待券が入っていました。

開催が心配された恒例の有名展覧会

上野の森美術館大賞展(以下、大賞展)は今年で38回目の開催となる国内でも有数の絵画展です。フジサンケイグループが全面バックアップし、今回も1,012点(768名)の作品が寄せられました。その巡回展が京都文化博物館で6月16日(火)~6月21日(日)まで開催されており、送っていただいた招待状で見学してきました。

コロナウィルスによる緊急事態宣言がやっと解除され、京都では何とか予定通りの開催です。

コロナウィルスによる緊急事態宣言がやっと解除され、京都では何とか予定通りの開催です。

昨年、同じく上野の森美術館が主催する「日本の自然を描く展」(こちらも全国規模の一大公募展)に入選したのですが、こちらとの一番の違いは、出展作品の大きさ(サイズ)と展覧会の方向性です。サイズでいうと「日本の自然を描く展」が最大サイズF10号(530×455㎜)なのに対し、「大賞展」はМ50号(1,167×727㎜)以上、S100号(1,620×1,620㎜)以下となっています。(随分、大きいのです。)また、応募者やその指向を見ると「日本の自然を描く展」が絵画を趣味にする一般の方が多いのに比べ、「大賞展」は有名画家、アーティストへの登竜門としてこの展覧会をとらえている本格派が多いことです。

今年はコロナウイルスの影響で当初予定されていた上野の森美術館での展示(4月29日~5月10日)が6月1日(月)~11日(木)に変更になりました。幸い、京都での巡回展は6月16日(火)~21日(日)と当初の予定通り開催されることとなりました。レッサーパンダは6月20日(土)に見に行ったのですが、予想どおり来場者は極めて少なく会場は寂しい限りでした。

会場入口で検温される来場者。係りのお姉さんも完全防御です。

会場入口で検温される来場者。係りのお姉さんも完全防御です。

600㎡以上ある5階展示会場ですが、会場はコロナウイルスの影響でこのような状態。

600㎡以上ある5階展示会場ですが、会場はコロナウイルスの影響でこのような状態。

全国から集まった個性あふれる力作揃い

少々活気に欠ける会場ですが、それでも展示は力作揃いです。大賞を獲得した春日佳歩さんの『惨くて、美味しくて』をはじめ「何をどう考えたら、こんな絵を思いつくのだろう!?」と唸ってしまう個性的で奇抜な作品ばかりです。単に「絵が上手い」だけでは入選作品、入賞作品として選ばれないのですね。

入賞作品には個性的で迫力のある作品が多数。思わず足をとめてしまいます。

入賞作品には個性的で迫力のある作品が多数。思わず足をとめてしまいます。

大きな作品を描くことの意義について考えた

レッサーパンダは今回はじめて「大賞展」を見たのですが、会場を歩きながら考えたことがあります。それは展示作品の大きさの問題です。展示作品のほとんどはM100号(1,620×1,303㎜)、F100号(1,620×970㎜)というサイズです。現在、レッサーパンダが描いている絵はF20号(727×606㎜)というサイズです。今回の作品群の4分の1ほどのサイズです。それでも、自室で描くとF20号というキャンバスはかなり大きくて悪戦苦闘しています。100号サイズのキャンバスを使った作品作りの大変さは良くわかります。まず描く場所探しから始めないといけないし、画材もかなり必要です。額装するには懐具合と相談し、それなりの覚悟がいりそうです(笑)。

来場者は高齢の方が多いようでした。ここにも最近の若者の美術離れが伺われる情景です。

来場者は高齢の方が多いようでした。ここにも最近の若者の美術離れが伺われる情景です。

確かに、100号以上のサイズにこだわる人が少なくないのには、国内の有名公募展は「このクラスのサイズ作品を求めるものが多い」というのが大きな理由だと思います。しかし、単にそれだけが理由なのでしょうか?毎年1,000人近い人々が100号という大変な作品づくりに挑み応募するのでしょうか?人の少ない会場で100号クラスの作品群と向き合いながら、「みんなどんな思いで作品作りをしているのだろう??」と考えてしましました。

(ここからは、レッサーパンダの推測です)このクラスの作品を描くには、それなりの腕前がないと描ききれないのですね。構図や色彩、マチエールだけではない独自の表現手法が確立できていないと観賞に堪える作品として成立しないのではないかと思うのです。このクラスの作品を描くには、やっぱり決心覚悟が必要。みんな自分の決心覚悟をタメシタイと思っているのではないでしょうか。それに加えて、(レッサーパンダ自身も感じていることですが)「小さなサイズの絵を描くよりも大きな絵を描く方が、体を使っている快感と高揚感が格段に違う」のではないでしょうか。

立体パネルで構成された作品。大きなフクロウ(?)が迫ってきます。写真で伝わるかな?

立体パネルで構成された作品。大きなフクロウ(?)が迫ってきます。写真で伝わるかな?

そんなことを考えながら、会場を歩いていてふと思いつきました。「自分も今後、絵を描き続け、100号以上の作品を描くチャンスに恵まれたら何か一皮むけて上手くなるのでは?」何の根拠も脈絡もない思いつきなのですが、案外間違ってはいないような気もしています。みんな大きな作品、今の自分を超えるような作品作りの中で腕前を上げているのだではないかと思い至りました。

日常の風景の中もアートはあります。これも心象の具現です。

日常の風景の中もアートはあります。これも心象の具現です。

表現の方法は自由!伝えたいことをどう伝えるかが問題

ジョアン・ミロというスペインの画家がいます。レッサーパンダはミロが大好きで京都に展覧会が来たときは3度も美術館に足を運びました。ミロの作品は見ようによっては子供の落書きのような作風です。単純な線と色の組み合わせ、誰でも描けそうだけれど誰にも描けないのがミロの作品。美術研究家や評論家はミロを型にはめて分析したがるのですが、ミロは内在している自身の心象を唯々形にしているだけです。画材や表現方法、理屈は関係ない。心に浮かぶことをただ表現したいだけなのですね。今回、「大賞展」に入選した迫力のある作品を見ていてミロを思いました。作者の皆さんは、止むに止まれぬ思いを如何にかして人に伝えるかという強い思いに駆られてキャンバスに向き合っているのではないでしょうか。そんな、静かな気迫を作品から感じました。表現の方法は十人十色、しかし熱き想いはみんな同じなのですね。

今描いている作品の課題に答えをくれた作品です。勉強になります。

今描いている作品の課題に答えをくれた作品です。勉強になります。

今日は京都文化博物館で開催された「明日を開く絵画 第38回上野の森美術館大賞展」のお話でした。それでは、またね。

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